大阪地方裁判所 昭和29年(わ)96号 判決 1958年11月20日
主文
被告人西岡房治を懲役八月に、
被告人大岩陸奥生を懲役五月に、
被告人山本繁夫、同杉下定幸を各懲役四月に、
被告人竹村宙一、同山本雅己、同燃杭光治、同坂本昌一を各懲役三月に、
被告人河越幸太、同土山竜心、同坂井敏雄を各罰金一万円に、各処する。
但し、本裁判確定の日から、被告人西岡房治に対し二年間、被告人杉下定幸、同竹村宙一、同山本雅己、同燃杭光治、同坂本昌一に対し、いずれも一年間、その刑の執行を猶予する。
被告人河越幸太、同土山竜心、同坂井敏雄において右罰金を完納することができないときは、いずれも金二百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
訴訟費用の分担 ≪省略≫
被告人福田光男は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
淀川製鋼所労働組合は、株式会社淀川製鋼所の従業員を以つて組織する労働組合であるが、昭和二十八年十月下旬頃より越年資金に関し、一人当り手取平均二万円、配分方法一率六割家族一割等を内容とする要求事項を掲げて会社側と折衝を続けてきたが、交渉妥結に至らなかつたため争議決行の態度を整えていたところ、会社は、同年十一月二十九日に至つてようやく組合に対し、一人当り手取平均一万五千円、その配分方法一率二割、家族〇・六割等の案を呈示したが、組合はこれを拒絶し、飽くまで要求貫徹のため闘うことに決し、遂に同月三十日より罷業に突入するに至つた。しかして右労働争議中、
第一、被告人杉下定幸は昭和二十五年十二月二十五日レツドパーヂにより淀川製鋼所を解雇されたものであるが、昭和二十八年十二月二日右争議応援のため大阪市西淀川区百島町五十三番地所在の淀川製鋼所本社工場を訪れ、団体交渉に応じない会社側に対し圧力を加えるため、同日午後二時頃争議中の淀川製鋼所労働組合員等及び争議の応援にきていた友誼団体の者等二百名を指揮して、右本社工場構内の会社事務所附近をデモ行進した際、同建物の管理者である淀川製鋼所労務部長片野養蔵の命を受け、同事務所中央出入口で、争議中の組合員等が右事務所内に入るのを阻止するため監視中の、同会社労務課長浜田陽三、保安要員黒住幸雄、同岡登、同紀之定正行等四名の制止をも聞かず、右デモ隊の組合員等と共同し、同人等に対し体当りをして同人等を押しのける等の暴行を加えて、中央出入口より同事務所内に押し入り、もつて数人共同して右浜田陽三等に暴行を加え、故なく前記片野養蔵等の看守する同会社事務所に侵入し、
第二、被告人坂本昌一は全日本金属労働組合大阪支部青年対策部長をしていたものであるが、同年十二月九日右淀川製鋼所の労働争議に際し、会社側が多数の警備員を雇入れたとの電話連絡を受け、組合側を応援するため前記淀川製鋼本社工場に赴き、同日午後四時頃争議中の組合員等数十名と共にスクラムを組んで本社工場構内の機械工場に向け示威運動を行つた際、右機械工場西入口附近でこれを見ていた争議不参加の淀川製鋼所工員竹村幸次郎の胸倉等をつかんで、スクラムの中に引きずり込み、スクラムを組んでいた組合員十数名と共謀の上、同人を取り囲み、同人に対し殴る蹴る等の暴行を加え、よつて同人に対し加療約一週間を要する背部打撲擦過傷の傷害を与え、
第三、被告人竹村宙一は淀川製鋼所の総務部長であり、被告人燃杭光治、同西岡房治、同山本雅己、同大岩陸奥生、同山本繁夫は、いずれも右争議に際し、組合側に対抗するため会社側によつて警備員として雇われ、前記本社工場内に寝泊りして同工場の警備等に従事していたもの、被告人河越幸太、同坂井敏雄はいずれも淀川製鋼所労働組合の最高闘争委員であつて、本件労働争議の指導に当つていたもの、被告人土山竜心は右労働組合の組合員で本件労働争議に参加していたものであるが、
(一) 昭和二十八年十二月二十二日会社側は、争議発生以来争議参加の組合員等が待機場所として使用していた本社工場構内の機械工場を閉鎖しようと企図し、同日午後二時四十分頃被告人竹村宙一の指揮で、本件争議に際し会社側が雇入れた警備員を使役して右機械工場内にいた組合員を追い出し、又組合員が置いていた自転車等を工場外に運び出した上、同工場の閉鎖にかかつたところ、本社工場正門附近及び自転車置場附近等で待機していた争議参加の組合員約五十名がこれを阻止するため、スクラムを組んで同工場南出入口に押しかけ、これに対し会社側も多数の警備員が応援にその場にかけつけ、総数三十名ぐらいの警備員等がこれに対抗して反撃に出たが、その際、
(1) 会社側警備員として右工場南出入口扉の閉鎖にあたつていた被告人燃杭光治、同西岡房治、同山本雅己は、右扉に体当りし同工場内に押入ろうとする前記組合員等に対し、他の警備員等と共同して、同工場内部から被告人燃杭光治、同西岡房治は掛矢で、被告人山本雅己は金槌や丸太棒で、右扉を内側から強打してこれを打破り、その扉の破片を飛散さす等の暴行を加え、よつて右南出入口の閉鎖を阻止するため同所に押しかけていた組合員樋口種吉に対し治療七日間を要する左手背部挫傷の傷害を与え、
(2) 被告人河越幸太、同土山竜心は、前記の如く組合員等とともにスクラムを組んで共同して同工場南出入口に押しかけ、その扉に体当りしてそれを押し上げ同工場内に押し入ろうとし、組合員等に対抗して同出入口の内側から、扉の閉鎖にあたつていた前記会社側警備員等に対し、被告人土山竜心は石を投げつけ、或は被告人河越幸太は警備等が内部から押さえている右扉を長さ一米五十糎、太さ約七糎位の丸太棒で盛んにたたき或は突く等の暴行を加え、もつて数人共同して暴行し、
(二) かくて組合員等は、会社側警備員の抵抗に遭い、南出入口から同工場内に入ることができなかつたところ、更に引続き約百名の組合員等がスクラムを組んで西トロ入口から同工場内に押入ろうとし、これを工場内部から阻止しようとする会社側警備員約三十名と押しあい、互に煉瓦、石等を投げあい、再び乱闘となつたが、その際、
(1) 同工場で組合員等の侵入を阻止していた被告人大岩陸奥生は、右警備員等と共同して、西トロ入口から工場内に押し入ろうとする前記組合員等に対し、棒切れで殴打し或は煉瓦、釘の空樽、石等を投げつける等の暴行を加え、よつて西トロ入口より同工場内に押入ろうとする組合員虻川政治に対し、治療七日を要する後頭部及び左示指打撲傷の傷害を、同東浦重雄に対し治療十四日を要する左側頭部打撲挫創の傷害を与え、又被告人竹村宙一は、同工場西トロ入口内部にあつて右警備員等の指揮に当り、かつ西トロ入口から同工場内に押し入ろうとする前記組合員等に対し、自から直径三寸位、長さ三間位の丸太棒を突込む等、右警備員等と共同して暴行を加え、よつて前記組合員東浦重雄に対し前記傷害を与え、
(2) 被告人坂井敏雄は西トロ入口から右工場内に押し入ろうとする前記組合員等と共同して、同工場内部よりこれを阻止していた米田一男等の会社側警備員等に対し棒切れを投げつけ、もつて数人共同して暴行し、
(三) 被告人西岡房治、同山本繁夫は、前記南出入口の紛争の際、その附近で右紛争状況を組合側写真班員伊藤賢蔵が写真撮影したのを認め、外数名の警備員と共同して、自転車置場の方へ逃げる同人を追いかけ、組合事務所附近で同人を捕えたが、同人が写真機を投げ出すや、同人の頭の毛をつかんで自転車置場まで引張り込み、更に組合員樋口種吉が伊藤が投げ出した写真機を持つて逃げるや、被告人等は更に同人を追跡し本社工場内自転車置場附近で同人を取りかこみ、同人に対し殴る蹴る等の暴行を加え、同人からその写真機を奪いとりこれを地面に叩きつけ破壊し、もつて数人共同して、右伊藤及び樋口に暴行し、且つ組合員合田節次所有の右写真機一個を毀棄し、
たものである。
(証拠) ≪省略≫
(前科)
被告人西岡房治は、(一)昭和二十四年十一月十日大阪高等裁判所において、賍物故買罪により懲役十月及罰金千円に処せられ、当時右懲役刑の執行を終り、(二)昭和三十一年十月八日和歌山簡易裁判所において暴行罪により罰金二千円の裁判を受け、同裁判は同年十一月六日確定したもので、この事実は同被告人の当公判廷の供述及び和歌山地方検察庁の昭和三十三年三月三日附前科照会回答書によつてこれを認め、被告人山本繁夫は、(一)昭和二十四年九月三十日大阪地方裁判所で窃盗罪により懲役一年二月(未決通算六十日)、(二)昭和二十七年五月三十日大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年六月(未決通算五十五日)に各処せられ、いずれも当時その執行を終り、更に(三)昭和二十九年八月十日大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年六月(未決通算六十日)の判決言渡を受け、同判決は同年八月二十五日確定したもので、この事実は同被告人の当公判廷の供述及び前科調書によつてこれを認め、被告人山本雅己は昭和二十九年八月十日大阪簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年二月、四年間刑執行猶予の判決言渡を受け、同判決は同年八月二十五日確定したもので、右事実は同被告人の前科調書によつてこれを認め、被告人杉下定幸は昭和二十三年十一月六日大阪高等裁判所において建造物侵入罪により懲役六月に処せられ(昭和二十五年九月二十七日確定)、当時その執行を終つたもので、右事実は同被告人に関する身上調査照会回答書及び指紋照会書回答票によつて認める。
(法令の適用)
法律に照らすと、被告人杉下定幸の判示第一の所為中、多数共同して暴行した点、被告人河越幸太、同土山竜心の判示第三の(一)の(2)の所為、被告人坂井敏雄の第三の(二)の(2)の所為、被告人西岡房治、同山本繁夫の判示第三の(三)の所為は、いずれも暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人坂本昌一の判示第二の所為、被告人西岡房治、同山本雅己、同燃杭光治の判示第三の(一)の(1)の所為、被告人大岩陸奥生の判示第三の(二)の(1)の虻川政治及び東浦重雄に各傷害を与えた所為、被告人竹村宙一の判示第三の(二)の(1)の東浦重雄に傷害を興えた所為はいずれも刑法第二百四条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人杉下定幸の判示第一の所為中、建造物侵入の点は刑法第百三十条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に各該当するところ、被告人西岡房治については、同被告人の第三の(一)の(1)の傷害罪及び第三の(三)の暴力行為等処罰に関する法律違反罪は、同被告人の前示(二)の確定裁判を経た罪と刑法第四十五条後段の併合罪であるから、同法第五十条に従い処断し、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、同被告人には前示(一)の前科があるから同法第五十六条、第五十七条により右各罪の刑にそれぞれ再犯加重をなし、更に同法第四十七条、第十条、第十四条により重い傷害罪の刑に併合加重した刑期範囲内で、被告人山本繁夫については、同被告人の第三の(三)の暴力行為等処罰に関する法律違反罪は、同被告人の前示(三)の確定判決を経た罪と刑法第四十五条後段の併合罪であるから、同第五十条に従い処断し、所定刑中懲役刑を選択した上、同被告人には前示(一)(二)の前科があるから、同法第五十六条、第五十七条、第五十九条により右罪の刑に累犯加重をなした刑期範囲内で、被告人山本雅己の第三の(一)の(1)の傷害罪は、同被告人の前示確定判決を経た罪と刑法第四十五条後段の併合罪であるから同法第五十条に従い処断し、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人大岩陸奥生の第三の(二)の(1)の虻川政治、東浦重雄に対する各傷害罪につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条、第十条により犯情重いと認める東浦重雄に対する傷害罪の刑に併合加重をした刑期範囲内で、被告人燃杭光治、同竹村宙一、同坂本昌一についてはいずれも所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で、被告人坂井敏雄、同河越幸太、同土山竜心については、いずれも所定刑中罰金刑を選択しその罰金額の範囲内で、被告人杉下定幸の第一の建造物侵入と暴力行為等処罰に関する法律違反の点は、一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五十四条第一項前段第十条により犯情重いと認める右建物侵入罪の刑に従つて処断し、所定刑中懲役刑を選択し、同被告人には前示前科があるから同法第五十六条第五十七条により右罪の刑に再犯加重をなした刑期範囲内で、以上各被告人をそれぞれ主文第一項掲記のとおり量刑処断し、被告人西岡房治、同杉下定幸、同山本雅己、同燃杭光治、同竹村宙一、同坂本昌一に対しては、刑法第二十五条第一項により本裁判確定の日から被告人西岡房治には二年間、爾余の被告人等には、一年間各その刑の執行を猶予し、又、被告人河越幸太、同土山竜心、同坂井敏雄については同法第十八条により右被告人等においてその罰金を完納できないときは、いずれも金二百円を一日に換算した期間当該被告人を各労役場に留置し、なお訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り主文第四項掲記のとおりその各被告人等に負担せしめ、被告人西岡房治、同山本雅己、同大岩陸奥生、同山本繁夫に対しては同法第百八十一条但書に則り、同被告人等にはこれを負担せしめないこととする。
なお、被告人坂井敏雄に対する公訴事実は、機械工場西トロ入口における組合員等と警備員等との乱闘の際、同被告人は多数の組合員等と共同して警備員等に対し暴行し、よつて警備員米田一男に対し傷害を与えたものであるというのであるが、第三十四回公判調書中証人米田一男の供述記載によると、米田一男の右傷害は判示第三の(一)記載の南出入口における紛争の際に、組合員等が南出入口の扉を押したため側に立てかけてあつた丸太棒が倒れ、その場にいた同人にあたつて生じたものであることが明らかであつて、同被告人が南出入口における紛争に加担した事実を認べき証拠もないから、米田一男が蒙つた右傷害については同被告人に責任はない。しかし、右傷害の訴因に包含せられているものと解すべき判示第三の(二)の(2)の右米田一男等に対する数人共同による暴行の点については、判示の如く十分その事実を認め得られ、その責任を免れ得ないこと明らかであるから、右傷害の点については特に主文において無罪の言渡しをしない。
(弁護人の主張に対する判断)
被告人竹村宙一、同燃杭光治、同西岡房治同山本雅己、同大岩陸奥生、同山本繁夫の弁護人は、同被告人等の判示第三の(一)の(1)、第三の(二)の(1)、第三の(三)の各所為は、同被告人等が会社の指示によつて機械工場の閉鎖に当つていた際、突如多数の組合員等が不正に同工場に侵入しようとしたのに対し、これを阻止し、同工場に対する会社の占有を確保せんがため止むを得ずしてなした行為であつて、正当防衛行為である旨主張するが、前掲各証拠によれば、同工場は本件争議発生以来争議中の組合員等が待機場所として使用していたもので、会社側においても特に同工場を閉鎖しなければならない緊急の事情もなかつたため、これを黙認していたものであるにかかわらず、組合側になんら通告することなく同工場内に少数の組合員しかいなかつたのに乗じこれを追い出し、突如としてその閉鎖にかかつたため直ちに組合員等の反撃を受けるに至つたものであることが認められ、いわば自ら組合員等の前示行動を誘発したものというべく(現に被告人燃杭光治は、検察官に対する昭和二十九年一月五日付第一回供述調書において、「何故同工場を閉鎖したかというと、組合員がこの工場で寝起きしていたので、この南門を閉じて夜にでも組合員が其処から入つてくれば不法侵入なり或は立入禁止の裁判沙汰にするための餌をやつたものとしか私としては考えられません」と述べている。)更に、前掲各証拠によつて認められる右被告人等の当時の立場、その行動等に徴すれば、被告人等は単に工場の占有を確保するためよりは、むしろ本件労働争議に際し組合側に対抗するためのみの会社側への過当な忠誠心、或は雇われ警備員としての立場に由来する極度の対抗意識にかられ、攻撃的意図をもつて判示所為に及んだことが窺知せられるから、同被告人等の所為は到底正当防衛行為とは認め難い。
次に、被告人河越幸太、同土山竜心、同坂井敏雄の弁護人は、同被告人等の各行為は、会社側が、組合側を挑発し、組合幹部を現場から外す目的で、事前通告もなく、突然判示工場の閉鎖を敢行しようとしたので、右工場に生活の本拠を有する組合員として、その居住権を防衛するため行つた正当防衛行為である旨主張するが、よし会社側の右閉鎖行為が、組合側の所論工場居住権(同工場は争議発生以来争議中の一部組合員の待機場所として使用され、少数の組合員が寝泊りしていたが、もちろんその生活の本拠でなかつたことは叙上証拠により明らかである。)に対する急迫不正な侵害であるとしても、組合側には他に待機場所として、より適当な組合事務所があつたことが前掲証拠により明らかであるから、設備の点その他から見ても同工場が組合側の強引に確保を必要とする欠くべからざる場所であつたとは考えられない。まして本件被告人等の行為は、会社側の挑発によるものとは言え、結局その挑発行為に反発し、あくまで右工場の確保を企図して、会社側の前記暴力に対し等しく暴力をもつて対抗し、互に為した斗争行為の一環を為すものと考えられるから、防衛行為としての適格性を欠くものと解せざるを得ない。
又被告人坂本昌一の弁護人は、同被告人は竹村幸次郎が最初殴つて来たので、それを防ぐため殴り返したまでで、その後同人は他のデモ隊員によりデモ隊の中へ引つぱり込まれ殴られたものであるから、同被告人の行為は正当防衛行為である旨主張するが、前掲証拠によれば、判示示威運動の際、同被告人がその肘を、それを見ていた竹村に当てたので、竹村がこれに抗議したところ、同被告人は同人の腕等をつかんで、そのスクラムの中へ引きずり込み、判示の如き行為に及んだことが明らかであるから、同被告人の行為は到底正当防衛行為とは認め難い。
(被告人福田光男に対する無罪理由)
同被告人に対する公訴事実の要旨は、被告人は株式会社淀川製鋼所の従業員で、同会社従業員を以つて組織する淀川製鋼所労働組合の組合員であるが、同会社と同労組との間に発生した越年資金問題を繞る労働争議中、昭和二十九年一月九日大阪市西淀川区百島町五十三番地所在の同会社本社工場内で、会社側が組合員の立入を阻止するためバリケードを設けようとして組合側と紛争を生じた際、数名の組合員が共同して会社側の内山壮六(当二十七年)の両手を扼し、蹴つたり殴つたりして同工場内検定工場附近から右労組事務所まで連行し、更に同所でも同様の暴行を加え、同人に対し治療約二週間を要する顔面挫傷等の傷害を加えたが、右連行中被告人も之に加わり、右内山の顔面を手拳で数回強打し、もつて外数名と共同して同人に対し暴行の上、傷害を加えたものであるというのである。
よつて按ずるに、第四十二回公判調書中証人大西史郎、同滝本健夫の各供述記載並びに内山壮六の検察官に対する第一回供述調書によれば(但し被告人から殴られた旨の供述記載を除く)、右公訴事実中、被告人が内山壮六に暴行を加えた事実を除くその余の事実を認め得る。しかして被告人が内山に対し暴行を加えた事実は被告人が警察での取調以来終始否認するところである。よつて証拠を検討するに、この点に関する証拠としては、内山壮六の検察官に対する右第一回供述調書及び平沢春雄の証人尋問調書が存するのみであるところ、そのうち先ず平沢春雄の証人尋問調書についてみると、同調書には、内山が車庫の前附近で殴られているのを見た、殴つたものが誰か顔はわからないが、福田らしいと思つた旨の供述があるが、その供述は前後種々動揺し、きわめて曖昧でにわかに信用し難いばかりでなく、殴つた者が福田らしいと思つたのは、事件後内山から福田から殴られたということを聞いたのでそう思つたというのであり、右内山を殴つた者が福田らしいという供述は内山からの伝聞が主たる基礎となつているものと解せられるから、独立した証拠価値はないものといわなければならない。従つて結局前記内山壮六の検察官に対する第一回供述調書が本件公訴事実認定の唯一の証拠と解せられる。よつてこれを仔細に検討するに、同調書によれば、「組合員数名に暴行をうけながら組合事務所の方に連行される途中、車庫の前まで来たとき後から廻つてきてこの野郎といつて二、三回私の顔面を殴るものがいた。その周囲は電灯がついていたからその男が圧延工の組長をしている福田であることがわかつた。」旨の供述があるが、被告人のその前後の行動については何等供述するところがないから、被告人を見たのは同人から殴られたわずかの瞬間だけであつたと解せざるを得ない。しかも被告人を見たのは、車庫前附近であつて、その正面には百ワツトの電球一個が点灯されてはいたが、一米位の近くでようやく人の顔が識別出来る程度の明るさに過ぎず(証人大西史郎の第四十二回公判における供述)、又数名の組合員によつて暴行をうけながら連行される途中のことであり、(従つて同人が相当興奮した心理状態にあつたことが推知せられる)、更に当時同人が相当酩酊していた事実(証人西田宗一の第百二回公判における供述)も考慮に入れると、右の如き状況においては人違いのおそれも十分に考え得るところであるから、被告人から暴行されたとの右供述記載は必ずしも信を措き難い、しかも当夜内山と共にバリケード設置作業に従事し、同人が組合員等から暴行をうけ組合事務所の方へ連行されているのを見ていたという大西史郎や滝本健夫もその際被告人を現認していない事実及び前記内山の供述以外に被告人が暴行したという一月九日午前一時前後において同工場内で被告人を見た者の存在しないという事実、被告人及び証人福田悦子の当公判廷での各供述、第百二回公判調書中証人西田宗一の供述記載により認められる当時組合においては組合員を三班に分け三交代で昼夜を通じ本社工場内でピケに当つていたものであるが、被告人は一月八日の午前七時から午後七時までが当番であつて、同日午後七時から翌九日午前七時までは非番で自宅で待機していたという事実(もつとも検察官も主張する如く、非番であるからといつて争議中のことでもあり、組合員たる被告人がピケ実施中の同工場に出頭することも一応は考え得ないわけではないが、組合役員でもなく、又自宅待機中の被告人が、わざわざ工場に出向き、深夜の午前一時頃まで同所にいたということは、特段の事情の認められない本件においては到底考え得ない。)更に以上の諸点に加えて前記内山壮六の検察官に対する供述調書は、所在不明を理由として一応証拠に採用されたもので、まつたく反対尋問にさらされていないという事実(この点は本件において最も重視されなければならない。現に本件に関する有力な目撃証人である平沢春雄さえ、検察官等の取調べの際には、被告人が内山を殴るのを見たと明確に供述しているにもかかわらず、証人として当裁判所で取調べられた際には、殴つたのは福田らしいと当時の認識のきわめて曖昧であることを自から告白する結果となつているのである。)を併せ考えると、被告人が内山に対し傷害を与えたとの事実はにわかにこれを認め難く、他にこれを認めるに足るだけの確証がないから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り同被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西尾貢一 裁判官 藤井正雄 裁判官家村繁治は当庁裁判官の職務代行を解かれたので署名押印することができない。裁判長裁判官 西尾貢一)